芦森工業株式会社2024 沿革/事業

沿革/事業

1878 年~
創業から企業化へ
―ホース事業への道のり

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1878年
(明治11年)

創業。10代芦森武兵衛、綿麻糸商を営む。

明治期の大阪では、繊維工業(その中でも特に紡績)を中心に活発な工業生産が行われました。明治15年には、大規模紡績業として「大阪紡績会社」が設立。同社が著しい業績の伸長を遂げた結果、後に続けと紡績工場が次々と設立され、大阪は紡績業の中心地としての地位を確立しました。
そんな中、『綿糸こそ産業興隆の先駆を為すものであり、今後ますます需要を高めるであろう』
そのように考えた10代芦森武兵衛は、「大阪紡績会社」設立に先駆けた明治11年、綿麻糸物商として創業しました。

1885年
(明治18年)

大阪玉江町にロープ工場を設立、伝導用綿ロープ製造を開始。

紡績会社との取引が多かった武兵衛は、紡績工場で用いられている綿綱(※)が輸入品であることが気にかかり、国産化に目を向けます。
国内における前例がない状況での生産は困難を極めたものの、製綱機のノウハウや工場制工業としての生産システムを学んだ武兵衛は、1885年大阪玉江町にロープ工場を設立しました。建屋はなく、露天に木製の製綱機を据え付けただけのものでしたが、起業8年目にしてようやく成った、機械によるロープ製造のはじまりでした。
(※)綿綱:伝導用綿ロープ。当時、工場の動力は水力や蒸気力による大型原動機を用いたが、一台の原動機から複数の機械へと動力と伝える手段として綿綱が用いられた。

1902年
(明治35年)

洋ろうそく糸芯の製造開始。

洋ろうそく糸芯は、国内はもとより輸出品としてさかんに取引されました。
この糸芯には「金貨印糸芯」の登録商標がつけられ、伝導用綿ロープとともに商品イメージの定着に大きな役割を果たしました。商標登録に重きを置く傾向がなかった明治中期に、いちはやく商標登録による宣伝に力を入れた結果、大阪から遠く離れた市場に向けた販路拡大に成功したのです。
ちなみに洋ろうそく糸芯に関しては、昭和初期には宮内庁御用をはじめとして、陸海空各軍にも納入していました。

洋ろうそく糸芯の製造開始。

金貨印糸芯(左)芦森式綿綱(右)の登録商標

1919年
(大正8年)

紡績用スピンドルテープの製造を開始。

この頃から、スピンドルの高速回転伝導をスムーズに作動させるため「スピンドルテープ」(※)が使用されるようになりました。この需要に対応するためにまずは海外から機械を買い付け、のちに自社で機械を設計するようになりました。その後スピンドルテープの生産は続伸し、ロープに次ぐ主力製品へと成長していったのです。
(※)スピンドルテープ:紡績の際、紡錘(スピンドル)を回転させて行う「糸に撚りをかけて巻き取る工程」において、動力を紡錘に伝える際に用いられたもの

コラム第二次世界大戦中の芦森工業

日中戦争を契機に「国家総動員法」が公布され、繊維雑品業界では統制機関「大阪紐類工業組合」が設立されました。以降、綿花の輸入難に伴う原綿割り当ての徹底と価格統制が一層厳しくなる中で、当社も軍需用品の増産に努めるようになります。1943年には陸軍省より航空機生産工場への転換要請を受けたものの、綿ロープなどの製品が増産命令を受けていたため、何とか企業整備を免れました。しかし、召集された従業員に代わりに送られてきた動員学徒は作業に不慣れなため、生産活動は停滞する一方でした。
生産品:落下傘吊索、組紐および細幅織物、動力伝導用綿綱、嚢用紐、防毒マスク用テープ等

1947年
(昭和22年)

東京都日本橋に東京事務所開設。

1950年
(昭和25年)

兵庫県丹波篠山市に篠山工場設立。

1952年
(昭和27年)

ゴム内張り消防用ホース「ジェットホース」の開発に成功、製造を開始。

戦後、綿ロープの需要が急減したのを受け、特定の製品に大きく依存する体質からの脱却を目指すこととなります。当初は麻糸による消防用ホースの生産を検討したものの、原料麻の入手が困難な状況にあったことから、「綿または化繊ゴム引きホース」の生産を決定しました。漏水防止対策が課題となりましたが、1952年にラテックス・ゴムチューブ張りホース(※)が完成し、以降伝導用ロープに代わる主力製品となりました。
(※)ラテックス・ゴムチューブ張りホース:ゴムチューブを作り、それをジャケットに内張りしたホース

ゴム内張り消防用ホース「ジェットホース」

ゴム内張り消防用ホース「ジェットホース」

1953年
(昭和28年)

合成繊維ロープの製造を開始。

1950年代以降、綿紡績業(天然繊維)が停滞する一方で、レーヨン等の合成繊維(合繊)が急成長しました。繊維素材の多様化・複合化が進む中、当社でも合成繊維を使用したロープの製造を開始。以降、消防用ホースに次ぐ主力製品として売り上げを拡大しました。

1961年
(昭和36年)

東京証券取引所第1部に上場。

1962 年~
シートベルトメーカーへ
―自動車安全分野への進出

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1962年
(昭和37年)

自動車用シートベルト「オートフレンド」の製造を開始。

1960年頃、アメリカをはじめとする海外からの引き合い需要に応えるために、シートベルト生産の技術検討を開始しました。1962年にシートベルトの製織を先行して開始し、翌年には金具を含めた完成品の本格的な生産をはじめましたが、当時、我が国の自動車業界ではシートベルトについての認識はほぼなかったことから、アメリカ向けの製品が大半でした。海外に輸出するには各国の規格ごとに認証を受ける必要があったため、アメリカをはじめドイツ、フランス、イギリス、オーストラリア等の規格に合格し、欧米輸出への道が開けました。

オートフレンド

オートフレンド

1967年
(昭和42年)

シートベルトメーカーとして初のJIS表示許可。

「マイカー元年」と言われた1966年、日本では大衆車の生産が急増するとともに、交通事故の激増が問題となりました。それを受けて、同年にシートベルトのJIS規格(※)が制定されるとともに、シートベルト取付義務の法制化が進められました。当社は、JIS規格制定の翌年にはシートベルトメーカーとして初の認証を受け、以降高い品質を誇る製品を世に送り続けています。
(※)JIS:日本工業規格。日本の工業製品に関する規格や測定法等を全国的に統一・単純化した国家規格。

1969年
(昭和44年)

ホース反転連続製造法(T式)完成。

従来のシステムでは、ホース一本ごとにチューブを引き込み、内側からライニングを行う工程を繰り返す必要があったため、大量生産や製品の均一化が課題となっていました。そこで、ジャケット外面にラテックスを塗布し、その後定尺に切り反転することで内側にライニングされたホースが出来上がるというT式(※)工法を考案しました。その結果、消防組織法の改正に伴う消防用ホースの需要の増加に対応できる生産が可能になりました。
(※)T:Turning(裏返し)。ジャケットを反転することから。

T式ホース反転連続製造法

T式ホース反転連続製造法

コラムシートベルトのリトラクター(巻き取り装置)について

自動車事故の多発に対する安全施策としての需要を見込んで、1970年に緊急ロック式リトラクター(ELR※)に関する技術提携をスウェーデン・エッセム社と締結しました。この頃の日本のリトラクターには非ロック式が多く採用されていたのですが、いずれ主流になると考えた当社では開発を急ぎました。その後、輸出車などから徐々にELR装備の機運が高まり、1970年代には国内での本格的採用が決定、当社の主力製品はホースからシートベルトに変わったのです。
ちなみに、1970年に日産自動車が昭和天皇用に納入した御料車のシートベルトには、当社シートベルト「オートフレンド」が採用されました。
(※)ELR:緊急ロック式リトラクター。平素は軽い力でベルトを出し入れできるが、急激な引き出しや車体の衝撃を感知すると巻き取り装置が動かなくなる。

1976年
(昭和51年)

「トノカバー」発売

1976年、リトラクターの巻き取り技術を応用して「トノカバー」が開発されました。ハッチバック式乗用車(※)のトランク用のカバーシートを指し、装備することで荷物の目隠しとなり防犯性が高められるほか、直射日光を防ぎます。安全部品と比較し、内装品はユーザーに直接PRできる独自製品ですので、以降はユーザーニーズに応じた様々な内装品を開発しています。
(※)ハッチバック式乗用車:跳ね上げ式の後部ドアを持つ乗用車のこと。

トノカバー(後部荷室カバー)

トノカバー(後部荷室カバー)

1979年
(昭和54年)

荷締具「NAタイトナー」の製造を開始。

NAタイトナー(=ラッシングベルト)は、搬送物を締結するための幅広ベルトに、固定用のバックルを取り付けた器具のことです。手でベルトを引き締めて固定するカム式と、レバー操作でベルトの締め込みができるラチェット式があります。

トノカバー(後部荷室カバー)

NAタイトナー(荷締め具)

1980 年~
ものづくりからシステム開発へ
―パルテム事業への進出

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1980年
(昭和55年)

管路更生工法「パルテム(ホースライニング工法)」完成。

「伝統的に受け継いできた繊維の二次加工技術と、消防ホースで培った高分子化学の技術を他分野に応用できないか」
その想いから、当時管更生の需要が生まれつつあったガス業界における、「更生工事」分野への進出を決めました。管工事業という未知の分野への挑戦は困難を極めましたが、共同開発契約を締結した東京ガスとともに研究を進め、1980年に実地ではじめて「パルテム」工法が用いられた結果、現場に適用できるシステムであることが証明されました。1987年にはロンドンで海外初の「パルテム」工事が行われるなど、その需要は国内外に広まっています。

パルテムホースライニング工法

パルテムホースライニング工法

コラムパルテムとは?

耐用年数が過ぎて老朽化した埋設管(上下水道、ガス管など)は、道路の陥没などさまざまなリスクを引き起こします。パルテムとは、そのような老朽管の内部に新しい管を形成することで、新品以上の耐久性を持たせる「更生工事」を指します。古い管を掘り起こして新しく取り替える「更新工事」と比較して、工期の短縮によって騒音・道路の通行不可といった影響が少なくなったり、コスト削減といったメリットが挙げられます。
1980年に完成したホースライニング工法は、当社が開発したホースの反転式製造法(T式)を応用し、古い管の内側に筒状の織物を引き込み硬化させることで、管路更生を行う工法です。

1981年
(昭和56年)

芦森エンジニアリング株式会社設立。

当社が管工事のシステム開発及び材料販売を担当するのに対し、実際の施工を担当するのが芦森エンジニアリングです。「パルテム」完成の翌年に設立して以降、ガスに限らず、上下水道や電力管などさまざまな埋設管を更生し、人々の暮らしを地下から支えています。
当社のように工法や材料開発から施工まで一貫して行う企業は非常に少ないのですが、工事現場の声を開発に反映したり、新工法をいち早く自社で試せるなど、他にはない利点が多くあります。

1982年
(昭和57年)

サンシェード発売開始。

1982年には、自動車内装品の「サンシェード」を発売しました。
トノカバーをスクリーン状にして小型化したようなイメージで、必要な時には引き出して使用し、不使用時は巻き取り装置により自動的に収納される仕組みです。

サンシェード

サンシェード

1989年
(平成元年)

エアバッグの製造を開始。

運転席用エアバッグを受注したことを受け、1989年にエアバッグ専用工場を新設、生産を開始しました。日本では人々の安全志向の高まりや法改正を受け、1990年代中盤以降に装備率が向上し、運転席や助手席に関しては標準装備化していきました。
現在では、座席サイド部分に内蔵される「サイドエアバッグ」や「カーテンエアバッグ」等、正面衝突以外の衝撃を緩和するための多種多様なエアバッグを製造しています。

エアバッグ

エアバッグ

1990年
(平成2年)

「パルテムSZ」工法を開発。

日本では、下水道普及率の向上に伴い、都市部を中心に管更生・更新事業の需要が高まりつつありました。そんな中、廉価な材料と小型・簡素化された設備により、短時間で埋設管を補修することを目的として、「パルテムSZ工法」は開発されました。不織布に樹脂を含ませたシートを筒状に重ね合わせたもの(SZライナー)を管内に引き込み、密着硬化させることで古い管内に新たに造管します。

1991年
(平成3年)

「エアーロールシステム」の製造を開始。

「エアーロール」は、トラックの荷台に搭載したローラーコンベアで、スムーズな貨物の移動を実現した物流省力化システムです。ローラー下部に搭載したホースにエアーを送り込むことで容易に貨物を昇降させることができ、ドライバーの作業負荷を軽減します。

エアロールシステム

エアーロールシステム

1997年
(平成9年)

低圧管用「パルテム・フレップ工法」完成。

次代を担う工法として、1992年より「パルテム・フレップ工法」の開発に着手しました。円筒状の織物の内外面に肉厚のポリエチレンを被覆したものを管内に引き込み、加熱拡張し、ガス管内に新たなパイプを形成する工法です。古い既設管に接着せずに、十分な引っ張り強度と伸びを持つので、耐震効果の高さに特徴があります。

1998 年~
グローバル企業へ
―海外への進出

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1998年
(平成10年)

KPN アシモリ株式会社設立(タイ)。

2003年、アシモリ・タイランド株式会社 Ashimori (Thailand) Co.,Ltd. に改称。

コラムグローバル企業を目指して

海外における調達力やコスト競争力の強化、販路拡大のための海外戦略基地として、当社では世界6か国に海外拠点を置き、現地顧客に向けたビジネス展開をしています。現地生産拠点として自動車安全部品の製造や組み立て、販売などを目的とするほか、今後のビジネス展開のために幅広く情報収集を行っています。

2003年
(平成15年)

中国に上海事務所開設。

2005年
(平成17年)

芦森科技(無錫)有限公司Ashimori Technology(WUXI)Co.,Ltd. 設立(中国)。

2008年
(平成20年)

芦森工業山口株式会社設立。

静岡県浜松市に浜松工場設立。

2009年
(平成21年)

アシモリ・インディア・プライベート・リミテッドAshimori India Private Limited 設立(インド)。

2011年
(平成23年)

芦森韓国株式会社Ashimori Korea Co.,Ltd.設立(韓国)。

2014年
(平成26年)

アシモリ・メキシコASHIMORI INDUSTRIA de MEXICO, S.A. de C.V.設立(メキシコ)。

2017年
(平成29年)

無錫芦森国際貿易有限公司設立(中国)。

本社機能を大阪工場へ移転・統合。大阪支社を開設。

2019年
(令和元年)

アシモリ・ヨーロッパ設立(ドイツ)。

2022年
(令和4年)

東京証券取引所プライム市場に移行。

2023年
(令和5年)

東京証券取引所スタンダード市場に移行。

2023年で芦森工業は145周年、これからも成長し続けます

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